信楽焼とは



信楽焼は滋賀県甲賀市信楽町周辺で作られている陶磁器であり、日本六古窯の一つです。

鎌倉時代中期に始まったとされています。

水瓶、種壷、茶壷、茶器、徳利、火鉢、植木蜂など大きな物から小さな物に至るまでの製品があり、信楽独特の”わび”、”さび”を残しながら今日に至っています。

約400万年前、琵琶湖は現在の信楽の場所にあり、長い年月をかけ現在の場所に移動したと考えられています。

そのため、元は琵琶湖があった場所の信楽は、土砂や動植物の死骸が堆積したことによって、焼き物に適した良質な粘土質の土壌が出来上がりました。

古琵琶湖層群と呼ばれる琵琶湖の湖底に堆積した地層は、良質な花崗岩が含まれた豊かな粘土質で、信楽焼の魅力の源泉となっています。

信楽焼は奈良時代、742年聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)の瓦を焼かせたことが発祥とされています。

そして室町時代、茶の湯が確立したことをきっかけに茶陶が盛んに成、”わび”、”さび”を感じる風合いが多くの茶人たちに愛されました。

明治時代になると、耐火性の優れた信楽焼の火鉢が流行し、90%もの国内シェアを占めるようになりました。

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信楽焼の査定プロセス

信楽焼の特徴

自然のめぐみをそのまま生かした素朴な風合いや、大型の陶器がつくられることが特徴の信楽焼。

この特徴は、信楽の土に秘密があります。

琵琶湖の恵みのつまった良質な土と複数の粘土などを混ぜ合わせると、腰の強い陶土ができあがります。

これがタヌキや火鉢など大物陶器を作ることができる理由です。

信楽焼=タヌキのイメージを定着させたのは昭和天皇です。

1951年に信楽を訪問した際、日の丸を持った多数のタヌキに出迎えられました。

その様子が新聞などに報じられたことによって、タヌキのイメージが広まっていったそうです。

信楽焼の歴史


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信楽焼の歴史


信楽は、工芸工科によると鎌倉時代中期に始まったとされています。古代日本の歴史からみると、信楽は朝鮮文化の影響を受けて、日本文化の中心として栄えてきた近畿地方の中心にあり、古代の主要道となっていたことや焼物に適した土がたくさんあったことから、紫香楽宮を造営するには理想的な土地だったのです。 (現在、奈良にある大仏は当初信楽に建立される計画でした。) 時代別では、室町時代、安土・桃山時代には茶陶が盛んになり、さらに江戸時代になると茶壷の生産が盛んとなり、商業の発達に伴い、日用の雑貨類(梅壷、味噌壷、徳利、土鍋等)が造られるようになりました。 明治時代に入ると、釉薬が研究され火鉢生産が盛んになり、昭和30年代前半まで産地の主要製品(日本国内シェアの約80%)でした。 近年は、傘立、タイル、庭園用品(テーブルセット、燈籠、照明具)、食器、置物など多様な製品が生産されています。 中でも”タヌキ”の置物は信楽の代名詞となるほど有名です。 このように、信楽焼は伝統ある古い歴史をもち、昭和50年9月に国より伝統工芸品として指定され、信楽は陶器の町として広く全国に知れ渡るところとなりました。

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